2008年11月02日

インターネットで自立生活を達成

ニッキー先生の塾はどういう風の吹き回しか

最近生徒が増えて忙しい。ブログの記事の更新
 
もなかなかできない様子。

それでもニッキー先生はネットで稼ぐことを

夢見ている。この夢は必ず実現させるつもりのようだ。

先日日本ネット界の天才アントレプレナー和佐大輔さんが

出した60日で自立生活を達成するためのマニュアルを

読んだ。刺激的だ!実に刺激的だ!

実践に実践を重ねて、その実践の中で築かれた

ネットでの稼ぎの方法が個人指導の形式で

紹介されている。ネットで自立するためには

彼が歩んだ道を自分で歩まねばならない。

君が本当に自立を望んでいるのかどうか

が真剣に問われることになる。あなたも

ぜひ読んで、そして実践をすべきだ。

驚くなかれ、このネットでの自立生活指南の

マニュアルが無料で提供されているのだ。

どうぞ!


60日後、最低でも月100万円の収入を手に入れ、120日後には最低でも月500万〜1000万円の収入を手にいてれる方法に関する「超具体的」な100ページを超えるマニュアルが発表されました。このマニュアルを入手できるのは11月1日から11月15日23時59分までです。この期間であれば無料です!無料です!騙されたと思ってここにアクセスして、入手してください。「ただほど怖いものはない」なんてしり込みしていてはダメですよ。わけのわからない餌をたべてとてつもなく巨大化した怪物のような世界的経済大恐慌の余波に翻弄されて明日のない崖プチに立たされている全員にとっての大きなチャンスです。今や我々は国や会社に頼ることなく真の自立に向かって突き進むための強力な水先案内人を無料で手に入れることができるのです。真の自立の可能性はネットにあります。このチャンスを自分にとってのチャンスにできるかどうかをあなたは問われているのです。さあその一歩を踏み出してください。

60日でネットで独立生活を達成するための無料マニュアル


ドライヤー ナノケアを通販で購入する前に
優雅な大人の男女のための超高級機械式時計
posted by ニッキー先生 at 23:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月01日

最近気になるブログ

最近「永久先生と万年浪人の受験英語学習談義」というブログが気になっ

いるニッキー先生だ。

永久先生とニッキー先生にはつながりがあるような気がする。

永久先生はニッキー先生の焦りとは無縁の人物のように見受けられる

がはたしてそうだろうか。

あのブログでいつも取り上げられている「宮口式記憶術」という商品

もニッキー先生には気になる存在だ。

いつか、ひょっとしたら永久先生とニッキー先生が手と手を取り合っ

て何かの共同作業にのりだすことになるかもしれない。
posted by ニッキー先生 at 23:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

あせるということ

思うにニッキー先生はあせる人だが、そのあせりは先生がええ格好しいであるということにあるのではないか。失敗は格好の悪いこと、体面にかかわることだという意識が強いのではないだろうか。格好よくやって人にほめられることを願望しているのではないだろうか。実際には失敗していることでも、そとからはそうは見えないように取り繕うことばかりに汲々としているのではないだろうか。失敗や恥を栄養として成長してゆくたくましさがないのではないか。

結局のところにニッキー先生のあせりとは、彼の中に、何かで成功するためにはどうすればよいのかをおしえてくれるわずかでもの成功体験がないことからくるのではないだろうか。先生は彼の長い人生の中でささやかながらでも自分の力で成し遂げたと実感できることがないのではないか。だから目標を決めて努力をしても、その努力は常に地に付いたものではなくて、外からどう見えるかだけを意識した努力なのかもしれない。そろそろ外からの評価ではなくて自分自身で自分を評価できるようにならなければならない。自分自身の評価の尺度をもたなければいけない。そうでないとこれからも永久にニッキー先生はあせるひとのままでおわることになるだろう。

私は知っているニッキー先生がどんなにあせるひとであるかを。人に見えないが、実にばかげたことであせるのである。たとえばほんの一例だが、ニッキー先生はものすごい方向音痴なのである。だからどこへゆくにも標識に頼る。しかし車で走っていると時には標識がよく見えなかったり、見落としたりする。たいていのノーマルな方向感覚や記憶力のある人なら、たとえ標識を見落としても自分が次にどこで左折なり右折なりをすればよいのかはよく通る道であれば検討がつくし半分眠っていてもまちがえたりはしないものだ。

ところがニッキー先生はここが曲がるべきところではなかったかなと思っても、それを確証してくれる文字の標識がないと不安なので、見落とすと、自信が無くなって曲がることができない。そしてその交差点をすぎてから、やっとそれが曲がるべき交差点だったと知って自分の失敗におおあせりにあせる。しかし自分がそんな失敗をしたことを気づかれたくないので、ついうっかりしていて通り過ぎたようなふりをする。ニッキー先生のあせりはやはり彼の頭の悪さからくるのではないだろうか。ニッキー先生は絶対に認めたくはないかもしれないが。しかしそれが真実であれば彼がすべきは何だろうか。それをこそニッキー先生は見つけなければいけない。

あせるということが真実どういうことなのかをこれからもニッキー先生のために研究してゆかねばならない。これはニッキー先生の生き死にに関る重大問題である。早急に、実際のサバイバルのための生活の中で解決してゆかねばならない命題だろう。

posted by ニッキー先生 at 19:13| Comment(0) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月15日

あせるということ

とりわけスポーツにおいてはあせるということは致命的である。バスケット、サッカー、ハンドボールなどの球技では練習で実戦の中で起こりうるさまざまな状況を想定してそれぞれの状況にふさわしい攻め方や、守り方を繰り返し練習する。しかし実戦の中では練習ではありえなかったような局面にぶつかることがある。たとえばバスケットの速攻で二人か三人の選手がパスをしながら相手のバスケットまでボールを持ち込もうとする。しかし当然相手がいることだからパスのタイミングや、パスをしないでドリブルで相手を交わしながら攻め込んだりするわけだが、普段練習で何度もやっていることを実際の試合でしくじるとリズムが崩れ、攻めのフォーメーションも崩れる。そうなると自分たちの戦略を考えながらプレーするというよりも、相手の出方に合わせて、その場その場で各選手個人が対処しなければならない局面が頻発する。

そのようなチームとしての戦略を実現するのがむずかしい事態になっても全体に目を配って自分がこう動けば仲間の***はどう動くを的確に予想してその場その場で何をすべきかを判断してそれを実行できる選手と、周りの仲間が何をしようとしているのかがつかめずに頭の中が混乱してうろうろする選手がでてくる。そういう選手はそとからみていてもすぐわかる。目立つ。悪い意味で目立つ。

結局チームの中であせって、うろうろして失敗する選手は理解力、判断力、想像力、洞察力、伝達力、指導力、社会性などの人間として生きてゆくために必要な能力が足りないことを露呈していることになる。そして本人もそういう能力の欠如をさらけだしていることがわかるから、余計にあせるのだ。格好の悪い自分自身の姿が意識の鏡にクローズアップされるから余計にそれを意識して失敗をしてしまうのだ。

posted by ニッキー先生 at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月08日

あせるということ

あせるということについてニッキー先生は書いている。はずかしいことだがこのことは認めなければいけないと思う。つまり、あせるということは、ひとつに、まわりの状況が見えていない、あるいはまわりの状況が理解できていないせいではないだろうか。だから、もう一度言う、はずかしいことかもしれないが、ニッキー先生は彼をとりまく状況が見えていないか、理解できていないのかもしれない、だから、自分の置かれている状況の中で自分が何をしたらよいのかワカラナイ。そこにあせりが生じるのかもしれない。

なにか新しい事態がおこったとき、それがどういう種類のことがらなのかを冷静に判断して、それに即した行動をとればよいわけだ。しかしその新しい事態がまったく思いもかけないものでそれがなんなのかを冷静に判断する時間的な余裕も全く無い場合、あせりが生じるだろう。しかしまず生じるのがあせりというのはまずいのではないだろうか。いくら時間的余裕がなくても、その事態を切り抜ける、あるいはその状況を生き延びるためになにはおいても必要なことはその事態が、あるいはその状況がどうして生じたのか、何を意味しているのか、そしてそれは自分にどんな影響を及ぼすのか、を考えるのが先だろう。そうしてこそその状況にふさわしい行動がとれることになるのだから。

ニッキー先生は、ぐずなやつが嫌いである。だから自分自身がぐずなことをしていると思うと、そのぐずな自分の姿の醜さにたえられないのである。ぐずが必ずしも醜いわけではないのだが、ニッキー先生の審美眼は自分自身がぐずな行動をしている図にがまんがならないのである。考える前に跳べ、とニッキー先生の神経が命令をだすのである。ニッキー先生の神経はニッキー先生の審美眼の手先のようなもので、たとえその命令がニッキー先生の人としての存在や尊厳を危うくするものであっても、跳べという命令を出すのである。そしてたいていの場合その命令は間違っているのだ。跳んではいけないときに跳んでいるのだ。
posted by ニッキー先生 at 19:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

あせるということ

ニッキー先生はどうも待つことが苦手である。なんでもかんでも自分から迎えにいかないと気がすまないらしい。しかし世の中には自分から迎えにゆくと失敗することもある。多少しんどくても待つことが必要なことがたくさんあると思う。皆さんはなにかそういうものを思いつくことが出来ますか。ニッキー先生の場合はすぐにあせるのだ。今やらねば逃げられる、とか、早くやらなければ自分がやられるとかの気持ちにとらえられるらしい。このことには、今うまくいえないかもしれないがなにか重要なポイントがあるように思われる。どんなポイントかというと、ニッキー先生が成功できずに、失敗が多いという事態を作り出しているポイントである。理由という言葉を使ったほうがいいような気がするが、ニッキー先生はポイントにこだわる。

あせるということはどういう現象か。端的なのは寝坊して仕事か約束かに遅れそうなとき、時計をみれば遅刻することは明白なのに電車の中で駆け出したくなるような焦燥感に襲われて、じっと席に座っておれないような状態。これも一種のあせりだろうか。しかしどっちみち間に合わないのだから観念して平常心でおればよいようなものなのにそういう自己操作ができない体質というか気質がある。

上に書いたような精神状態をあせりとみなすことができるならば、やはりニッキー先生はあせりのひとである。そしてこのあせりはなんらプラスのことを生み出さない。この精神状態から生み出されるものはすべてマイナス的なことばかりである。ではマイナスの結果しか生み出さない状態になぜこうもニッキー先生は陥りやすいのか。そこら辺を冷静に分析してゆけば事態の改善に役立つかもしれない。
posted by ニッキー先生 at 19:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月02日

ニッキー先生の奥さん

ニッキー先生の奥さんがあんなふうになってからもう30年近い年月が流れた。その間浮き沈み、紆余曲折はあったが今奥さんは十分にノーマルである。この前の日記にニッキー先生が書いたことを読んだら奥さんは激怒するだろう。あの頃のことはどんな形であれ触れたくないし、まして誰が読むとも分からないところに出してもらいたくないから。だからあれ以上のことはニッキー先生も触れないでおきたい。

それよりも、最近はニッキー先生の塾は落ち目で設備に投資したお金も元がとれないまま、残るのは借金の支払いのみといった有様で奥さんは先行きをとってもはかなんで、元気を失っている、そしてますます老いてきた。

大学も出て、そろばんや簿記も段位をもっているから勤めようと思えば口はあったと思うのだが、あるもう一つの事情で彼女はまともな就職はしなかった。今はパートであるスーパーの食堂で働いている。最近は神経からくる胃腸の変調に苦しんでいる。いつも腸が爆発しそうだという。医者に言わせると、これは神経からくる症状で腸や胃そのものはどこも悪いところはないらしい。しかし、そうはいってもその苦しみは現実のものであるからつらいのである。

今日もひどくつらくて仕事を休みたい様子であったが、今年の5月のゴールデンウイークに連続一週間身体の調子が悪くなり休んだので、またそうのようになったらこんどは首にされることは確実なので這ってでも行かなくてはならないと言って出かけていった。これは彼女の身体が衰えてきているからではなくて、ケッコウ長い間経済的な心労にくるしめられてきて精神的に折れそうになっているのだ。かわいそうに、ニッキー先生は自分の無能を嘆いていても始まらない。やるしかない。
posted by ニッキー先生 at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月30日

ニッキー先生の奥さん

ニッキー先生の奥さんは大阪のど真ん中、浪速っ子だ。子供の頃は遊びでは何をやっても男の子にまけない強気の女の子だった。しょっちゅう近所で駄菓子や、お好み焼き、たこ焼き、おでんのスジなどを食べて大きくなった。ガキ大将のような男の子たちと遊んでいたからケッコウそういう男の子たちには知られた存在であった。そういうかつてのガキ大将たちは今ではケッコウ商売人や、専門職になって成功している。

彼女は二番目の子供を生んだ直後がからおかしくなった。ニッキー先生の勤め先に近所のKという奥さんから電話がきた。なぜ近所の方が勤め先に電話をかけてくるのか分からなかったが、よくないことが起こったのではないかという気は当然した。「奥さんが子供をほったかして表でわけの分からないことを叫んでおられます。できればすぐに帰ってきてあげてください」ニッキー先生はショックを受けた。

ニッキー先生はそのころは仕事で手一杯で家庭をおろそかにしていたのではないかと思う。結果的にはそうだったのではないかと思う。確かその前日かそこらの日に、ぱっと目を覚ますと先生の奥さんが枕元に座っている。どうしたのかと聞くと、***は(長男の名前)はとってもよくゆうことをきいてくれて、賢い。というようなことをわざわざ告げるために先生を起こしたようだ。時間を見るとまだ夜中を過ぎた朝の3時ごろなので、どうしてこんな時間に起きているんだ、というと眠たくないからおきて用事をしているという。普段からそんなに家事が好きなやつではないから不思議に思ったが深くは考えなかった。が、そのころまだ2歳くらしの長男と、生まれたばかりの赤子の世話で疲れていたのかもしれない。

それからはしばらくのあいだ家庭はほんとに地獄のようなありさまになった。ものすごい躁のような状態がつづいて安定剤が効いている間は眠っているが、覚めるとずっと誰かのところに電話をかけて、かけて、喋る。ただ喋るだけならまだよいが、相手が気を悪くするようなことばかりを攻撃的な口調でまくし立てるので相手は非常に迷惑をする。そんなことをしていると神経が興奮して病状がどんどん悪化するから、とにかく神経の興奮を鎮めるためには眠らなければいけない。ところが先生の奥さんはその安定剤を飲むのを嫌がるから、これをきちっと飲ますことがまず一番の大事な仕事になった。
posted by ニッキー先生 at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月27日

Sさんの大学受験その2

Sさんのお母さんから連絡が入った。Sさんの高校の担任に薦められて受験した**大学は不合格であったという。先生は絶対ダイジョウブだと保証してくれたらしいが、今年の**大学の公募推薦入試の合格平均点は昨年よりも20点以上高くなった。その結果先生の予想が外れてSさんは落ちた。

けれども、お母さんによるとSさんは少しも気落ちしていないようだ。その大学向けの準備は全くしていなかったし、たとえ受かってもそこに行く気はさらさらないので少しも惜しいとはおもわない、と言っているようだ。しかしお母さんは今年**大学の合格平均点がこれほど上がっているから、Sさんの本命のKK大学は**大学よりも人気があるから合格ラインがもっと高くなるのではないかと心配しておられる。

そんなお母さんの心配をよそにして、Sさんは絶対受かると確信しているらしい。確かにニッキー先生の塾でSさんはKK大学の過去問題をいっぱいやった。その過程であるていど彼女は手ごたえをつかんでいたのではないかと思う。それにKK大学は英語のリスニングテストがあってSさんはリスニングは得意中の得意でクラスで一番らしい。たしかにニッキー塾の授業でも気がついたことだが彼女は決してノートをとらないが、読んだり、聞き取ったりしたことをまるで目の前の絵をみるようにして吟味する能力はすばらしいものをもっている。

KK大学の試験があったあと、Sさんがどうしても採点をしてほしいというのでニッキー先生が問題を解いて採点をしてみると80%はいっている。その上彼女はリスニングテストは完璧に出来たと言っているからまず間違いなく受かっているとおもった。

お母さんから電話があって「Sは受かりました」インターネットで調べたのだ。早速学校のSさんにメールで知らせると「バリうれしい!」という返事があったそうだ。KK大学の合格ラインもやはり**大学同様20点以上高くなっていたらしいが、それでも受かりました、お母さんはいささか得意そうであった。よかったねSさん!君は射止めたいとおもうものは絶対に射止めることのできる人にきっとなるよ。
posted by ニッキー先生 at 17:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月26日

Sさんの大学受験

Sさんは現在某高等学校の3年生の女子高校生だ。彼女は今年の春まで半年間の予定でアメリカのケンタッキー州の高校に、現地の牧師さんの家にホームステイしながら通っていたが、その半年が経たないうちに日本に帰ってこざるを得なくなった。

彼女は動物アレルギーで斡旋業者にはそのことを伝えて動物のいない家庭へのホームステイを希望していた。にもかかわらずその業者が斡旋紹介した先は彼女が行ってみると大きな犬が三匹ほど飼われていて、彼女はてきめんにアレルギーがでた。親が業者に掛け合って別のホストを紹介してくれるように頼んだのだが、やってくれず、アレルギーはどんどんひどくなって結局中途で帰ってこなければならなくなった。業者に払い込んだお金は返ってこなかったらしい。

その彼女のお母さんがニッキー先生の塾に相談にみえたのが3月であった。留学制度が整っているということでKK大学に行きたいので指導をしてほしいということであった。

授業中は彼女は最小限度のことばでしか話してくれない。分かった?と聴くと、分かっておればうなずき、分からなければうつむいたまま難しい顔をしている。質問をすると分かっておれば答えてくれるが、わからなければ、やはりじっとうつむいて難しい顔をしている。母親にひょっとしてSさんはニッキー先生の塾にくるのが嫌なのではないですか?と尋ねると、いいえ娘はそういうことははっきりしていて嫌であれば絶対に来ません、とおっしゃる。帰るときも何もいわずに孵ってゆくのだがドアを開けるときチラッとニッキー先生を見る。ニッキー先生は必ずそれを見逃さないようにしていて手を振る。すると彼女はちょっとばかりにっこりして、でも、黙って孵ってゆく。

ニッキー先生の授業のどこが気に入っているのかわからないままそういうふうにして夏がすぎ、秋がきて彼女の志望校の試験が近づいてきた。
posted by ニッキー先生 at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする